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救助ありがとう

H8年12月9日の朝9時40分横浜の港を、R号25フィート、友人の船W号27フィート2艇で、剣崎経由、三崎で給油、布良港の予定で出航しました。天候は晴れ北西の風、12月の日射しとは思えないような太陽を感じながらFBに時折スプレイを浴び操縦を楽しんでいました。観音崎を過ぎた辺りから波がだんだん高くなり寒風と、スプレイが強くなってこの時帰港すればよかったのですが、三崎港で給油する予定でいたので帰港する燃料もなく、とりあえず三崎港を目指しました。剣崎を過ぎ、毘沙門沖の定置網を右舷に見ながら定置網を大きくかわしたつもりでしたが、端に一つだけ出ているブイが視界に入らず右に舵をとったとたんに後ろに引き戻されるようなショックを受け右側エンジンが停止しました。あわてて左側エンジンも中立、とたんに波の力で反転、船尾から追い波の様に波が入ってきました。その様子を友人の船が気づき無線で「どうしました?」の声[引っかけたようだ]「外れますか?」……「この波ではちょっと難しい」……「BANに連絡をしてみたらどうですか?」友人船も自船に近寄れずに無線で交信、私も携帯電話を拾いやっとの思いで「BAN」に事態を説明して救助を待つことにした。

もう「BAN」のほうは漁業組合と連絡が取れただろうか?……いろいろ考えながらボーと長く感じる時間を過ごしていると三崎の方向から大きな定置網を上げるウインチの付いた漁船が向かって来ました。漁船がはるか離れた定置網に付け小船に乗り換え二人の漁師さんがこちらに向かって来ました。「すみません」と大声でいうと漁師さんがこっちに向かって大きく手を上げ答えてくれました。怒鳴られて当然と思っていたものの二人の漁師さんはとても穏やかでした。その小船が近づいてくると一人の人がドライスーツを着て海に飛び込み私の船に向かって泳いで来ました。漁師さんはスクリュウにからんだロープを2〜3度引っ張っていとも簡単に外してくれました。もう一隻のBAN救助船が到着しました。ロープから解放され、エンジンを駆け2基共異常ない事とロープに支障のない事を確認してお礼をいって別れました。定置網を傷付けずに済んだこと、「BAN」からの的確な連絡のお陰であのときの漁師さんが穏やかでいてくれたのだと思います。もし「BAN」に入会していなかったら自力で脱出することだけを考え、あの時パニックになって今頃漁業組合に多大な迷惑をかけたかも知れません。「救助に来てくれる」と言う心の余裕があのときの私を冷静にしてくれたのだと思います。「BAN」に入会していたお陰だとつくづく思いました。
R号・キャプテン
汗顔の至りながら、航海日誌を見ながら、当時を思い出し、書いている。平成8月12月1日(日曜日)は、AM4:28に家を出た。外は暗く、車のテレビの天気予報は夕方から天候が崩れ、強い風が吹く」と報じていた。AM7:00に久里浜を出航した。目的は東京湾横断道路まで行って、写真とビデオを撮ることでした。「東京湾の奥は、この時期ワカメ・ノリ等の養殖が盛んで、漁具が多いので注意を要する」と関東小型船舶安全協会の講習を夏に受けており、海図、小安協の東京湾案内図、GPSを見ながら、進路を北に取った。ビデオを撮りながらAM9:15に横断道橋の下に着いた。少し白波が立ち始め、BANの旗も逆に進行方向にはためいていたが、ビデオを撮りながら、余り気にもならなかった。

GPSは、袖ヶ浦、木更津沖、約2kmを示していた。来た時と同じ航路を帰るのもつまらないと考える余裕があり、船を君津方向へ反転させた。そして、浪のうねりの間にしぶきが窓ガラスを通して、黄色の玉が見えた様な気がして、あわててエンジンを停止し、外に出て見ると目の前にノリヒビが一面に広がり、船はその中に流されて行く様子。なんとか出ようとフック等で押したり、引いたり努力したが、くもの巣にかかった虫の様で、ふわふわするだけだった。風も浪も強さをどんどん増して来た。自分一人では無理と判断し、BANに連絡を取り、救助を依頼した。10分位して、BAN.ROCより電話が鳴り、周辺の漁業協同組合・マリーナ等からは、この波浪では、危険で救助に向かうのは困難との事なので、海上保安庁に救助を要請した旨の連絡が入った。その後、度々電話を受け、アンカーの投入指示、状況報告、励ましを受けた。ラジオは、カー・フェリーが欠航した旨を報じていた。AM11:50、巡視艇あさかぜが来たが、危険で近寄れない。
AM12:00頃、ヘリが飛来し、クルー2人が降りて来て、海に入り、増しアンカー・ロープ取りをして、船が流されないようにしてから、必要品だけ持って、ヘリコプターに吊り上げられ、離船した。
翌日、漁業組合で教えられた処では、12:00頃が一番風が強く、風速12m、波高3mであり、心配して横断橋の上まで出たとの事。ロープ取りが上手で船が流されず、又、すぐエンジンを停止したのも良く、巻き込まれて沈没せずに済み、ノリ・網の被害も150万円位だろうとの事であった。
この事故で、BANの方々、海上保安部の巡視艇・ヘリコプターの方々に、漁業組合の方々に大変お世話になり、感謝致しております。自然の力に対する油断、情報判断の甘さ、操船未熟で大変ご迷惑をお掛けしました。
M号・キャプテン

 

 

 

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